2015年6月14日日曜日

小学校ドッチボール大会に疑問を感じました。

今年から、町内小学校5,6年生全員参加のドッチボール大会が行われました。
昨年突然、40年以上続いた陸上競技大会記録会を閉じ、ドッチボール大会にする旨が発表され、多くの保護者から、伝統的な大会がなくなる事に、なぜ?という意見があった。

しかし、子どもの人数の減少で、リレーなど競技ができなくなったことから、ドッチボール大会に変更して今年初めての開催となりました。

私は個人的には子どもの頃夢中になって遊んではいた方でしたが、強いボールが顔に当たった時の,頭真っ白になった経験、絶対に強い男子には勝てなくて、男子の球を胸で受けた時の満足感と共に胸の痛み!に不安になった事。結局最後はあたって負ける。負け試合しか経験がない。自分の努力では何ともならないし、ドッチで、誰もが強くなるってどんな方法?勝ち負けの決まっている競技って何を子どもに伝えれるんだろうか?甚だ疑問がわいてきます。

大人になって振り返ると、ドッチボールは人にボールをぶつけるって言う遊びで、ぶつけられるばかりの子の事を思うとなんか暴力ごっこ?と感じるようになった。だから、白川町体育大会が、5.6年生全員参加のドッチボール大会になったときに、なぜ?とお聞きしたら、いや、ルールがあって作戦によって勝ち負けができる、公式スポーツなんです。(教育長さん)という事だった。

一体どんな大会が行われるんだろうか?

この日、産業教育委員長としてこの大会の観戦をさせてもらった。

結論から言うと、ドッチボールは、全員参加の体育大会としての競技としてはふさわしくないと今回の観戦を通して思いました。
この意見は7月の全員協議会で出すつもりです。
個人の考えですが、長くなりますが述べたいと思います。
私の意見に当然異議のある方もあると思います。

しかし、私はこの大会を観戦した議員だからこそ、これ以上子どもの心と体を傷つけてしまわないために疑問を投げかけることが、子どもの教育環境を良くしていく議員としての使命だと思っています。

そして、何より、指導されていた、観戦されていた先生方自身がこのドッチボールを全員参加の大会にすることに疑問を持たれたのではないかと思います。
結果が、決勝大会出場が1校の4チームだったこと、一回も勝つ経験のないチームができた事に、喜べないと漏らされておられましたし、最後の先生からの子どもたちへの言葉にも敗者こそ素晴らしいなどと苦渋の言葉を選ばれていました。どうか、子どもたちのために、今回の結果を十分ご検討下さることを願っています。きっと、動いて下さる先生があることを信じています。

このブログは、観戦したその日に書いたのですが、町の大会を批判するのですから、公開するのに勇気がいりました。

躊躇してましたが、先日、私の意見をある学校関係者に申しましたら「「弱いものが力(ボールで当てられる)で負ける経験も大事だ」という意見もあるし、柔道も全員参加の体育で認められている。だからドッチボールの全員参加がいけないとは言えない。」と、この大会の結末を見ていらっしゃらない教育者の方がおっしゃっていましたので、これは、私の意見を表に出す必要をさらに感じ、公開することにしました。また、2015年6月21日青少年育成大会で、来年はもっとドッチボールを盛り上げていきたいと校長先生が仰っておられましたので、私の意見をお伝えしましたが、何の疑問もなく同じ大会をする事になりそうな事を大変きぐしました。

小学生ドッチボールの強制参加については、やめるべきとの意見やいやだった思い出がネット上で色々出てきました。
公式スポーツとして、全国大会も催されており、クラブ活動として盛んにやられているようでした。中学にはないので、中学校でもドッチボール部をという動きもあるようです。しかし、一方私が危惧します強い男子ボールで骨折した例もやはりあり、遊びや部活動の範囲にとどめるべきものという意見の方が多いようでした。

この大会の目的には町内の小学5,6年生が一堂によって仲間となる事がスローガンとしてかかげられています。この目的は、かなえられたのでしょうか?私には強いチームのコツがわかったとしても、6年生は来年は中学生です。5年生も、では例えば「声を出す!」とかやっても勝てません!!だって、女子ばかりのクラスだったり、体の小さいクラスだったりはっきり差が見えます。一体どう努力しろというのでしょうか?

他の種目ではいけないのでしょうか?八の字飛び大会、多人多脚で記録を競う。又はこの大会そのものをやめる。小規模校が5校です。町内の小学生が集まってレクレーションをして、普段少人数の遊びしかできない点を大勢で遊ぶ経験をする日とするなど、子どもたちにとって必要な体験は何かを常にフレッシュにとらえて実行することが、日頃から小規模校のデメリットに、対応しメリットを発揮する教育を進めている白川町の方針ではないのでしょうか?

私はドッチボールという遊びや、部活動まで、いけないとは思っておりません。

全員参加の町の体育大会としてドッチボールはふさわしい競技ではないと思います。
その理由として、
        ①公平なチーム編成ではないこと
        ②体に当てる、逃るというドッチボールの動作が体重などの制限も
          なく行われ、弱いものが当てられ、強いものが当てるという弱いも
          のイジメを公然と応援したり競う大会になってしまう。

まず、最初に車いすの障害を持つ生徒が、ただ応援するだけで、参加できないことに、町の体育大会でそれでいいのだろうかと思った。しかし、それはドッチボールという競技上仕方のない事かもしれない。。。

が、試合を観戦する内に、一勝もできないチームが存在することが起きてきた。これはいかんと感じた。体重差、男女差、ドッチボールを日ごろからやっているか、まったくやっていないかの差、こういった差の上に全員参加の戦いで、明らかに差があるものでの競技なのだ。今日、この子たちで満足したとしたら、何人の子にボールをぶつけて当てたのかということがこのスポーツでは称賛されるのだ。相手に球を充てることが称賛されるのは、格闘技です。

このようなスポーツはやりたい人でやるもので、教育の一環として、全員参加で、町の中の学校対抗のような種目としてはやはりふさわしくなかったことを確信した。子どもたちの逃げ回る姿、投げようとしても届かない子が必死でついていこうとする姿、一度も勝つことができなかったチームの子ども達。一番ちっさな学校だった。このことをどう思い出にせよというのでしょうか!胸が痛みました。

敗者の素晴らしさ、こんな痛い経験も世の中にはあるんだから、これも経験だとする、教育者の弁(本当に自分の教え子にそう言って済ませれるんでしょうか?)

一勝もできない子どもたちが痛々しくて胸が痛んだ。

ある親さんに話を聞いたら、うちの子は終わってほっとしているだろう。体も大きくなく、ドッチが嫌いで、補欠になったが、いやいやの心で参加してたんです。。。。。と

この子の一日は未来に夢を持てる日になったのだろうか?
ああ、終わってほっとした。
こんな子に、なんと声をかけたらいいのだろうか?教師はなんと声をかけるのだろうか?一人一人の子どもの心を思いやる先生なら、見直したいと思われていることでしょう。

子どもたちに無記名で、聴いてほしい。ドッチボール大会が毎年続くのはうれしいか?やめてほしいか?自分より体の大きい力のある子から投げられたボールの恐怖、痛さは?
教師でドッチボール大会やってみてほしい。男性の先生は弱い女性に思いっきり当てるように足や腰や、後ろから当てれますか?きっと当てれなくてやめようとするんではないでしょうか?

想像してほしい
大人がこのスポーツを強制でやらされるとしたら、外野へ行って当てられる恐怖から抜け出していたいと思います。反対に保育園児にこのスポーツを進めたとします。さあ勝つためです、思いっきり○○ちゃんにボールをぶつけるんだよ。そんな指導できませんよね。
小学生でも強いこの玉は、当たり所によっては骨折もあったと聞きます。きっと中学生ではとても強くて危険でしょう。だからあくまでもクラブとして、やりたい小学生が望んで入る事でしたらいいかもしれませんが、全員参加の町の体育種目としては、私はふさわしくないと思います。

ネットで検索するとこのようなサイトが出てきました。http://togetter.com/li/828700
暴力を煽るゲームになる。狙われる弱者の恐怖心。イジメの対象になる子がまず公然とあてられてもそれは暴力ではないとされる。等々、

アメリカではドッジボールはキラーボールやマーダーボールと呼ばれたこともあって、 「暴力性やイジメを助長させる」危険な競技ということで、禁止されている州が多いらしい。とある。


きっと、先生方の中にもドッチボールを種目に選んだことを後悔された事だろう。ぜひ、もう一度、考え直してほしい!

まったく1勝もできなかった学校があり、結果決勝に残った4チームが1校の4チームだった事で、先生方の中には全町の小学校の体育大会としてドッチボールがその意義に外れる可能性が大きいことが分かったことでしょう。
どうか、今一度しっかり検討したうえで来年の大会を計画してほしい。出来ないならやめたらいいのではないか。新しい学びや体験があるはず、何かを削らなくては子どもは忙しくてもたない。せんせいも然り。手間暇かかる教育を形骸化することは、決して許されてはならない。子どもの人権に関わることだ。

八の字や、多人多脚で競うのはいかがだろうか?
個人競技の陸上に戻してはどうだろうか?
できないのならいっそ中止して、取り組みの時間を子どもの自由にしてあげたらどうだろう。

小規模校の白川の小学校、5校が一緒になって、混ぜ混ぜで多人多脚二取り組むとか、
知らない友達と、何かに向かって相談したり、チームに成ったりそんなコミュニケーション能力こそ、高校生になると一度に人数の多い場所に放り出される子どもたちに着けてあげたいものです。せっかく一堂に集まる機会に、相手にボールをぶつけて痛い思いをさせて競技をさせて、力でねじ伏せるハラスメントの温床となるようなドッチボールは、全員強制参加の競技にはふさわしくない!と、思いました。

子どもたちの心から湧き出る笑顔や、好奇心、体を動かす喜びを保障してあげることは、憲法、子ども憲章に謳われています。

大人として、ドッチボール大会を全員参加の学校対抗スポーツとしては公平性に欠け、公式ルールにのっておったととしても、傷つく子どもたちが存在することから目をそらしてはならないと思います。暴力を煽るスポーツという面があると私は思います。

イジメの中にボールをぼっこぼこに当てることが入っています。このような格闘技スポーツは、好きな人で行うもので、学校教育の一環で全員強制参加の大会としてはふさわしくないと思います。

賛否あるかと思いますが、子どもは、暴力を受けさせてはならないよう、大人には守る義務があります。7月の全員議員協議会で、この意見を教育委員会に伝えようと思います。

保護者の方々のご意見もぜひ学校や教育委員会に、届けてください。

陸上大会が、ドッチボール大会になった。
このことも、実は町民不在の変更ではなかったのか?と思います。
なぜ、ドッチボール大会なのか?一言も話されていない。
学校集団がもっと住民や保護者に依拠すべきだとおもいます。

長くなりましたが、お読みくださりありがとうございました。
子どもたちのために、是非、全員参加のドッチボール大会のことを話してください。

子ども達のいのちと心が大切にされる町であるために!
この投稿が、役に立ちますように天に祈り、公開します。


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