2015年2月24日火曜日

女性議員がいる町、いない町

白川町は、現在女性議員は私一人。女性議員が、せめて3割、つまり9人のうち3人はいないとと思っていたが、昨日先輩議員のY氏が神奈川県で、女性の方が多い市があると教えてくれ、新聞記事を見直した。
記事を見て、「実は女性議員が多い方が、今の社会を住みよくするにはいいのではないか」というほのかな私の感覚に、拍車がかかった。


また、先日、市町村の議会選挙で無投票が、23%という記事を見た。地方では、議員のなり手がなく、高齢で引退しようとしていてもなり手がないからまた、やってくれと頼まれる事もあると先輩議員さんから聞いた。
 無投票、それも、欠員がある事は大変に問題ではあるが、かといって現役地方議員は内実地域密着選出が多いので、地域での後釜を作ることをしない限り自分がまたやるのだと宣言していると同じだ。自治会も男性がほとんどの地方では、自治会推薦の色濃い地方選では、女性の出番は回ってこない。私のように地域推薦もなく、僅かな町民からの推薦を受け、自分で決意した出馬、それも欠員があり、結果無投票だった。こんな巡り合わせの様な出馬の仕方であったから、実現した女性議員。選挙では、かなり難しい。
 女性である私が多分町内一女性議員を、求めていたのだったから、自分でその願いを実現したわけだ。女性が半分いる町だが、女性議員が必要だと思う女性は意外に少ないのが実感だ。今は女性議員がいてよかったと思われるようになるべく自分の感覚を信じ、女性の暮らしや働き、思いが大切にされるよう動こうと心がけている。対話の場作りが私の議員活動のベースであり、目標で、この1年半町に対話が広がったことが何よりうれしいし、
迷い迷って、夫の一押しがあっての出馬だったが、今、議員をやってよかったと本当に思っている。
しかし、今や女性がいたくない町岐阜県ワースト1の町白川町。
いっそ女性議員が男性議員を上回るくらいの爆発的変化が起こせれたらと、ひそかに夢を持った。
しかし、まんざら夢に終わらない気がする。以前なら考えられないようなことが起きている。それは、現在私が産業教育委員長になっていることだ。私を委員長にして、そして活動をけなさず、ほめてくれたり、支持してくださる。アドバイスもしてくださる。白川町の男性8人議員さんは凄いと思う。自慢ですこの議会。そして、自分が議会活動で、女性差別を受けることなく一緒にまちの活性化について、対話の場を待つことに賛成してくださっているし、素直に話ができる温かさがある。だから、必ずその時は来ると思う。

だが、この記事のような壁が今でも存在する。議員という公平に開かれた立場だが、下記の記事のように、女性が立候補するには家や家族、親戚などの反対がつきもので、社会全体が女性議員を求め、半分は割り当てる位にしないとなかなか進まないだろう。

こういった意識を形成する事を目指してこれからも行動したいと、新聞の記事を見て思った。
女性を議会の過半数に!
夢は叶う!

2015年2月5日木曜日

病院に行く前に頼れる場所があれば

蘇原地区の教育懇談会で、気づかせてもらったこと。

病院が遠いと言う話で、どうされてるんですか?と聞いて行った。

子どもを病院で見てもらいたい時、恵那病院に、職場が恵那の方に、診察券を入れておいてもらう。そうすると病院で待たなくていい。遠いけどすぐ見てもらえるってわけだ。なんだかんだと遠い中で知恵を絞っているわけだ。

そこで思い出した。佐見地区には、看護師さんが20人もいる。ある看護師は、時々電話がかかってきて、「ちょっとみてくれんか」と、たのまれるらしい。足がなく、医者に行くにも人を頼らなければならず、救急車の場合もあるだろうが、まずは、近所のよしみで見てくれんかーとかかってくるらしい。

小児科のない白川町、しかしたとえ小児科があっても、些細なことだか聞いてみたり、相談できる人がいたらなんとこころ強いだろう!

名古屋から30年前移住した私は、地元で友人を作るきかいもなく、ママ友が出来たのは三人目ができてからくらいだった。無農薬、自然食カチコチの私には、訪ねた牛飼いの方が、貧乏は、子どもにいい教育ができるよーときいて、それなら得意!と俄然元気が出たのをおぼえている。そんな先輩からの励ましが子育ての親には何よりのくすりや、栄養なのだ。

私達じじ、ばば世代が、そんな事業体ができたらと思いました。

町内には、栄養士、保育士、リタイヤされている方が沢山おられます。


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